ギャンブル依存症がパニック障害になってしまいました。

ギャンブルにハマって10年、一念発起してパチプロになろうと上場企業を退職。わずか2ヶ月で貯金が底をつき、パチンコ屋で倒れてパニック障害を発症してしまいました。皆様の励みに慣れるよう僕の闘病生活を記録していきたいと思います。

電車が怖い。パニック障害発症。

皆様、ご閲覧本当にありがとうございます。

 

 前回の続きとなります。↓前回

その日、ギャンブル依存症はパチ屋で救急搬送された。 - ギャンブル依存症がパニック障害になってしまいました。

 

7月6日にパチンコ屋で過換気を起こし、病院に運ばれてから2日経ちました。

呼吸が完全には戻らず、常時少し苦しい状況であったので、実家にて療養しておりました。

 

母親に友達と遊んでくると言って外出したのに、パチンコ屋で倒れて救急車で運ばれるなど、

クズの極みみたいなことをしてしまい、とても反省しております。

僕の母親は常に自分で物事を決めなさいというタイプですが、大事な時はしっかりと守ってくれるようなとても素晴らしい母親だと思っています。

そんな母親にも何度も嘘をついてパチンコに行っていたことをとても申し訳なく思います。

 

今回に関しても、

「あなたはきっと最後にはしっかりできると私は信じているから」

少しの生活費とグッとくるような言葉をいただきました。(僕はクズすぎます。)

 

僕も本当に変わらなくちゃなと思い、東京に戻り、真剣に仕事を探すことにしました。

 

駅まで母親がついてきてくれて、いざ電車に乗り込みました。

僕が乗ったのは快速電車、平日の昼間なので、乗車率もそこまで高くありません。

東京の乗り換え駅まで約30分です。

 

 

電車のドアが閉まった瞬間 、

今まで感じたことのないほど強い動悸が僕を襲いました。

え。。なんだこれ。そう思っている間にだんだんと息が苦しくなり、

顔面から汗が吹き出ています。

 

この電車は快速なので 次の駅まで6分です。

また息ができなくなる。怖い。

とにかく人目がつかないように電車のドアの方に行き、

ほんの少しだけ開いている隙間から必死に息をしようとしました。

 

周りを見ている余裕はなかったのですが、

たぶん異様な光景だったと思います。

 

なんとか6分間を体が少し痺れながらも耐え抜き

駅のホームの椅子に倒れ込みました。

 

そして母親に連絡し、駅まで迎えにきてもらいました。

 

母親を待っている間の30分程度は

また呼吸ができなくなるんじゃないか、どうしよう、これは何か大きな病気をしているのではないかなど、頭の中で様々なことを考えて、苦しくなるということを繰り返していました。

 

その日は結局実家に戻り安静にして、明日、心療内科に行くことにしました。

ネットで調べてもしかしたらパニック障害かもしれないなぁと思いながら、

眠りにつきました。

 

翌日、心療内科を受診しました。

初めての心療内科、見栄張りタイプの僕は、

母親に精神病とか気合で直せるっしょといった感じでイキっていたと思います。

 

症状を話し、先生から

「まぁパニック障害の症状に似ているので、そうでしょうね。」

と言った感じの曖昧な診断に少し不安を覚えながら、

漢方、抗うつ剤抗不安薬をもらいました。

 

母親は、抗うつ剤抗不安薬にはかなり消極的でした。

なんでも知人で15年間程度薬を飲み続けて、今も後遺症に悩んでいるといった事例を聞いていたからでした。

 

ストレスを抱えたまま社会生活に戻ると、

なかなかよくならないことが多いみたいです。

 

その点では僕は絶賛無職なので、治すことに専念できそうです。

(元はといえば、会社をやめてしまったのが、始まりだった気がするのですが、、、)

 

その日、ギャンブル依存症はパチ屋で救急搬送された。

多くの人が働いているであろう

2020年7月6日(月)僕はパチンコ屋で息ができなくなり、救急車で搬送された。

 

皆様こんにちは。閲覧頂きありがとうございます。

これからゆっくりとブログで僕に起きたことをお話していきたいと思っています。

同じ症状の方の参考になれば嬉しく思います。

 

僕は都内で彼女と同棲をしている20代の男である。

この春、5年間務めていた上場企業を退職し、晴れて無職となった。

退職理由は、人間関係が悪い、業務が激務すぎる等のネガティブなものではなく(世間的にはとんでもなくブラック企業ではあるが)、新しい自分を見つけたい!と言ったようなどちらかといえばポジティブな理由であった。

しかしこれは表向きの理由であり、本当は唯一の趣味、パチスロで生計を立ててやろうとおもって退職を決意したのであった。

 

しかし早速出鼻を挫かれてしまう。いまだ猛威を振るっているコロナウィルスだ。

僕は残っていた有給約40日分(入社してから1度も使わせてくれなかった。)を消化し4月末で退職となったが、

そのころはメディアからパチンコ屋がまさに目の敵にされている時期であった。

僕の家の周りでは自転車で約30分程度の店舗が自粛要請に争い、連日オープンしていた。

彼女の仕事が忙しいのをいいことに、目を盗んでは必死に自転車を漕ぎ、30分かかる道のりを20分で走り少しでも長くパチスロに勤しんでいた。

だがパチンコ屋は今が稼ぎ時であると言わんばかり、設定を入れず連日回収が続いていた。

もちろん僕もまったく勝てなかった。

 

正直貯金というほどの貯金があって退社したわけではないが、失業保険がもらえるまでの3ヶ月間は凌げる程度は手元に残っていた。

だが毎日のように数万単位で負ける日々。1ヶ月足らずで貯金は底をつきそうになっていた。

 

最後の希望である7月7日が近い。

7月7日はパチンコが一年で一番熱い日と言っても過言ではない。

最後の貯金10万円で勝負に出ることを決意していた。

7月7日のために7月5日に実家に帰省し、大型店舗で実践することにした。

 

その前日、僕は舞い上がって前哨戦と称して、朝から実家近くの中型店舗で実践をしていた。

最初は明日のために少しでも軍資金を増やそうという軽いノリであった。

アレックス→リノ→サンダーとAタイプを中心にゆったりと遊んでいた。(スロットがわからない方すいません。)

しかし、イベント日でもない日に設定が入っているわけもなく、ゆったりゆったりと、もう2万円程度は負けていた。

そこでネジが外れてしまった。

番長3→凱旋→プレビンと(わからない方すいません。。)高射幸の台を次々に座り、全てで惨敗。

 

残り2000円になり、ジャグラーを打ちながら今後の生活どうしようか考えていた時、

突然息が苦しくなった。

呼吸をしようとしても、酸素が入ってこない感覚、だんだんと足、手、顔が動かせなくなり、その場に倒れ込んだ。

 

朦朧とした中、

 

店員が何か声をかけている。

 

見物人がゾロゾロ集まってくる。

 

このまま息ができなくなり、死んでしまうのではないかという恐怖心に襲われた。

派手に鳴り響くパチンコ台の音を聞き、天井を見つめながら、

パチンコ屋で死ぬのは恥ずかしいなぁ〜。彼女、親に嘘をついてきてるから、言い訳できないなぁ〜。

自分の愚かさを後悔していると、間も無く救急車が到着。

体が動かないので、隊員の方にタンカーで運んでもらい、そのまま病院に搬送された。

隊員の方が実家に電話して、母親が大慌てで病院に来てくれた。

 

30分程度するといつの間にか息は吸えるようになり、体も少し動くようになってきた。

医者からは、

「過換気ですね。ストレスなどが原因で突然息ができなくなる症状です。直近何かストレスはありましたか?」

と聞かれた。

母親がいたということもあり、わからないと答えたが、多分、パチンコのせいだろうなぁとは思った。

 

その日は親の運転する車で実家に帰った。

もちろん次の日、7月7日は自宅療養をした。